会社案内summary

代表あいさつ

当社は大正10 年より、バリエーションに富んだアドバルーンの制作を行って参りました。
イベント会場が華やかになり、訪れる方々に笑顔が生まれる様な空間作りに努めて参ります。
社員一同、ますますお客様のご期待に添えますよう努力を重ねて参ります。
今後とも末長くご支援、ご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

株式会社銀星アド社

代表取締役 水野孝則

会社沿革

初代社長 水野勝蔵

水野 勝蔵

大正十年、広告代理業を営んでいた当社の初代社長である水野勝蔵が気球にのぼりを取り付けることを考案し、アドバルーンが誕生しました。
アドバルーン誕生までの流れをふまえつつ銀星アド社設立の歴史をご紹介いたします。

天明3年(1783年)
フランスのジョセフ・モンゴルフィエと、その弟ジャック・モンゴルフィエが熱気球の原型を作成。
明治十年(1877年)
西南戦争の際、包囲された熊本城内との連絡に気球利用を企図した政府が、工部大学と海軍兵学校に搭乗用気球の制作を命じる。
大正二年(1913年)
中山太陽堂が化粧品名入り軽気球(気球製作所製作)を日本橋や大阪に上げる。
大正八年(1919年)
銀星アド社の初代社長となる水野勝蔵が弘告堂として千代田区神田に広告業を始める。
大正十年(1921年)
広く開放されている大空を広告の媒体に使いたい、また、地上の広告には税金がかかるが、空には 税金がかからないという理由から、気球に字幕入りののぼりを付けることを水野勝蔵が考案し、広告軽気球業の専業となる。
昭和五年(1930年)
字幕入りののぼりをネットに変更した。また社名を銀星と改める。
昭和十一年(1936年)
ニ・ニ六事件が勃発。戒厳司令部より、クーデターの解体目的となるアドバルーン制作を依頼される。
「勅命下る 軍旗に手向かうな 戒厳司令部」という字句のアドバルーンを芝田村町交差点角(現在でいう西新橋)の飛行館屋上より上げる。
昭和二十三年(1948年)
GHQよりアドバルーンの浮揚を制限される。翌年、連合軍司令部より、アドバルーンの打揚を許可される。
昭和二十七年(1952年)
アドバルーンの殆どがビニール製に代わる(以前はゴム引羽二重生地製)。
昭和三十一年(1956年)
ビニールの特殊糊貼り製法を研究し実験して、「二重式透明バルーン」の開発に成功する。
昭和三十二年(1957年)
株式組織体として陣容を整えて、小川町三ノ六に事務所を拡張し、銀星アド社が誕生する。

社名(銀星アド社)の由来について

ゴム製(当時のアドバルーンは黄色のゴム製が主流となっていた。)のアドバルーンの表面に、初代社長水野勝蔵が銀粉を塗り、それが銀色の星に見えたことに由来します。

会社概要

社名 株式会社銀星アド社
Ginseiadsya Co.,Ltd.
創業 1921年(大正10年)4月1日
設立 1957年(昭和32年)8月23日
資本金 1,000万円
代表者 代表取締役 水野 孝則
本社 〒101-0061
東京都千代田区神田三崎町1-4-19
TEL: 03-3291-0614(代) / FAX: 03-3291-0615 TEL: 03-3291-0614(代)
FAX: 03-3291-0615
スタジオ 〒359-0013
埼玉県所沢市城787-2
E-mail info@ginseiad.co.jp
事業内容 ・バルーン事業 ・教育事業 ・自動車事業

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